田房永子著 「キレる」ことをやめたいと考える人の指南書

――まず、「キレる」原因や治し方に焦点をあてた本作を書こうと思ったきっかけをお伺いできますか?
田房
「キレてしまう」という長年の悩みを本格的に解消したいと思った時、「どうしたらいいか」という指南を一切見つけることができませんでした。

行くべきところがどこなのかすら分からず、本書の中にも書きましたが、いざ勇気を出して病院やカウンセリングに行ってみても、的外れな対応をされたり、「大したことじゃない」という扱いをされてしまったんです。

「キレる」「やめたい」とネットで検索しても、キレることに悩む人たちやキレる家族に困っている人たちの、行き場のない苦しみの阿鼻叫喚しか読むことができず、焦るばかりでした。
ハッキリとした「キレるということを治す方法」が知りたいのに、どれだけ探してもそれが書かれた本すらも無い、ということに絶望しました。

その悲しさから、「キレる自分に向き合って、キレることをやめたいと考える人の指南になる本を絶対に自分が書いて出版しよう」と決めていました。

自分の「女としてのずるさ」もおもいっきり書いた

――男性の暴力は問題になるのに、女性からの(家庭内)暴力が社会的に問題視されていない理由はなんでしょうか?体力的に被害が少ないという以外に何かあるとお考えですか?
田房
男性から女性への暴力問題をテーマにした本はたくさんあるのに、女性からのものは一切ないことから、「男性と女性の暴力には社会的認識に大きな違いがある」というのを強く感じていました。女性だって暴力を振るってはいけないはずなのに、はっきりとそう言っているモノが見当たらない。それはすごく奇妙なことだと思いました。
だから自分が書く本は、敢えて男女で分けた上での「自分(女)から見た女の暴力」、にこだわりました。

男の人は子どもの頃から、「女に手を上げるのは恥ずかしいことだ」と教えられているように思います。彼氏に殴られた、なんて話を聞いたらほとんどの人が「そんな男と別れなさい」と言うのが普通です。だけど女の暴力は、「ヒステリー」という漠然な表現をされたりして、なんとなく「仕方が無いもの」という認識がはびこっているように思います。

体力的な被害の差、というのも大きく影響していると思いますが、絶対にそれだけではない。
社会全体を見た時に、男性側のほうが「女性に怒られることをしがち」ということが前提になっていると思います。特に、風俗、浮気、育児放棄の3つは、男性が女性に比べて分かりやすく大っぴらに“許されている”項目です。例えば風俗に行かないで浮気もせず育児に参加する男、は世の中から褒められるけど、女が「風俗に行かず浮気もせず育児をがんばる」のは当たり前のこととだから、わざわざ褒められません。

そういった、社会を大きく見た時の男女差というのは絶対にあって、その土台の上で、女性から男性へのヒステリーをないことにするというのは、男性全体が漠然と抱える「怒られても仕方ない」といううしろめたさが、影響してないとは言い切れないのではないか、と私は思います。そういった男のずるさ、に、女もずるさで乗っかっている、乗っかるしかない、という状況が続いた結果、お互いに自分のずるさを見つめるのが億劫になるので、女の男への暴力は問題視されなくなる、という方向に行くのではないかと思っています。だから本書では、自分の「女としてのずるさ」もおもいっきり書かないと成立しないと思っていたので、書きました。

「キレる」ことは、DVのひとつの形になりうる

――ご自身では自分の「キレる」という行為と世間一般の「DV」とはまったく違うものだと考えますか?
田房
私は、夫にとっては全く意味不明なポイントで過激に怒り出したり、場にそぐわないほど暴れたりしていたことで、夫から「いつ怒り出すか分からないからこわい。ビクビクする」と言われたことがあります。
相手の細かな態度(機嫌が悪くなるとか、すごく意地悪なことを言うとか、無視をするとか)によって、自然と自分の行動が制限されることをDVとか、支配いうものだとしたら、私がしていたことはDVだと思います。
「キレる」ことは、「不機嫌」とか「無視」とかと同じ、DV状態になるための態度・行為のひとつ、だと言えると思います。

子供への「ちょっとした暴力」は絶対にいけない

――母親や夫など、親しい人にだけキレる遍歴を辿り、子供に対しても一瞬キレそうになって恐怖を感じた、という場面がありました。子供に対してキレることを抑止できた原因はなんでしょうか?
田房
たぶん、「キレる自分をなんとかしよう」と日々思っていたからだと思います。キレる自分を正当化している時期もあったと思うんですが、子どもが生まれてからは「こんな自分ヤバイ、ヤバイ」としか思っていませんでしたから。
――子育て全般において、ある程度の暴力が容認されている現実がある、との指摘をされていましたが、子供に対して暴力を振るってしまうことに関して、どのような対策が必要だと考えられますか?
田房
世の中では「親は善」で「子は悪」みたいな前提がなんとなくあって、子どもは間違ってるから、親はそれを正すもの、という空気が流れている感じがします。
その考えを元にしていると、親の奇行(ヒステリー、ずるさ等)も、全部「子が悪であるという前提」に沿って、正当化しなきゃいけなくなってくる。子どもの行動がひどいので、親がきちんと対応(罰)している、という理屈になっていくわけです。そうすると、「お前が悪いからだ」という言い訳を伴って、暴力が家庭内に簡単に登場してくると思います。
そういった、「親は善で子は悪」という意識を変える手助けが必要な人もいると思います。

一方、親自身が自分の親からの悪影響を引き継いでいるケースもあると思うし、どの場合も、「親が自分自身を振り返り、見つめ、自分の気持ちに寄り添う」という行為をするのが一番手っ取り早いというか、それしかないと思います。

あとは、単純に日々の育児・家事の量が限度を超えていて親の心身がボロボロで、子どものちょっとした態度に過剰に反応してしまう(陸にあがった瀕死の魚がちょっと触られるとビチビチと暴れるのと同じ)という場合もあると思います。そういった時は、環境を変えて親が休む必要がありますよね。

それぞれのケースで必要な対策は変わってくるとは思いますが、共通して言えるのは、「子どもに暴力を振るってしまう」ということを世の中が「大人として一番回避すべきこと」として捉えておくべきということです。そういった前提があれば、行政などが個々のケースに合わせた対策をとれるはずですが、一定の子供への暴力が容認されている今の社会では、「殴っちゃだめだと思うよ」「やめたほうがいいよ」と言われたところで、どうやってやめればいいのか分からないという親がいるのが現状だと思います。

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