見つめる焦点を、相手では無くて自分に合わせる

――キレるパターンに自分で気付く方法はありますか?

田房
見つめる焦点を、相手じゃ無くて自分に合わせることで気が付けると思います。
キレながら、「私いま、キレてる」とか自分を観察してみると、何に反応しているのかなんとなく分かってくるんです。
キレる最中に自分を観察するのが無理な時は、一人の時に思い出して、夫のどのセリフにカッときたか、などを振り返っていました。自分のこととして考えるとキツい場合は、キレている他人のことを思い出すみたいなちょっと距離を持った感じで思い出したりもしていました。
自分のやったことを「あ~いやだ、いやだ」と嫌悪する感情がブワーッと湧いたままの状態だと、「自分を見つめる」なんていうのは難しいので、「もうやっちゃったことは仕方ない」といったん自分を許すこともすごく大切だと思います。失敗は仕方ないものです。自分の失敗を許せないと、どうしても原因を周りに転嫁することになるので前に進めません。自分の中の一番大事なテーマを「こんな自分を許さない」から「次からやらないようにするためには」にスライドするのがいいと思います。

悩みをまじめに聞いてくれる場所

――母親との関係改善で箱庭セラピーを体験されて理解が深まったことから、再度セラピストを訪れる場面があります。セラピーやカウンセリングを受けてみたいという人は多いと思うのですが、セラピストの選び方で何かアドバイスはありますか?

田房
マッサージ師と同じで、受けてみないと自分に合っているかどうかが分からないので、とりあえず行ってみるしかないと思います。

「セラピーやカウンセリングという行為自体が自分に全く合わない」、という人もいるし、「●●セラピーは好きだけど△△セラピーは苦手だった」、とか、「●●セラピーでもこのセラピストはすごくいいけどこっちのセラピストはもう結構です」、とか人によって細かく違うのも、マッサージ界のそれと似ています。
私は最初の頃は、3000円までとか金額で決めていました。だんだん、高いからいいとか安いからダメとかそういう世界ではないということが分かってくる感じです。
――ゲシュタルト療法(セラピー)を受けることでコロッとキレることがなくなったとのことですが、初めて参加された際「悩みをまじめに聞いてくれる場所」がこれまで無かった!と感じられたとの描写がありました。友人や身近な人ではなく、第三者に悩みを打ち明けることは、自分の悩みと向き合うために重要だと思いますか?

田房
「友人や身近な人に話すのと、セラピストに話すのは全く別物である」という認識をしたほうがいいと思います。
もし、「友人に話すのとそんなに変わらないな」と思うセラピストだったら、それはセラピストとしての機能を果たしていると言えないので変えた方がいいですね。

友人や身近な人に話すことは、例えるなら「記者会見」のようなものです。
夫が問題を起こした芸能人への記者会見で、記者が聞くのは「別れるんですか?」「これからどうするんですか?」「本当に仲良かったんですか?」と状況についてだけです。だけど、記者じゃなくても、普段の人同士の会話というのは、「状況」についてだけを話しているのがほとんどです。相手が「会社やめたいんだよね」と言えば「なんかあったの」とか「やめていいと思う」とか「これからどうするの」とか返しますよね。

でもセラピーは、その人の「状況」じゃなくて「心」に注目するんです。例えばゲシュタルトセラピーではその時のその人の体の動きなどを見て、「いま、それを言った時にあなたの肩が上がったけど、いまあなたの中で何が起こってるいますか?」とか聞いたりします。そうやって、その人の「心」に注目することで、その人が癒やされる、というのが「セラピー」です。

家族や友人と普通に話している時に急に「あなたの体でいま何が起こってる?」とか言うのはなんだかおかしいし、相手の許可無くセラピー的なことを始めるのは失礼でもあります。セラピーの勉強会で集まっている人たちも、お昼休みは世間話をしています。

セラピーというのは、友人などに話すのとは全く違うので、お金を払ってその空間に出向く、ということが必要だし、そういう非日常感がない状態で自分の悩みと向き合うのは逆にすごく難しいことだと思います。

パニックに陥らないために必要な「今ここ」感覚

――キレることは怒りであるとともにパニック、という言葉、実感としてすごく理解できます。パニックを防ぐためにも、未来や過去ではなく「今ここ」にフォーカスするのが重要だということでした。今ここに存在することのメリット、また、どのようにフォーカスすればよいのかのヒントなどありますでしょうか。

田房
常に意識する必要はないと思います。

「何か苦しい」「悲しい」と思った時、つまり“非常事態”の時に、「あれ、もしかしていま、『今ここ』にいないんじゃないか?」と気づくことができれば上出来だと思います。私は常に意識してないし、忘れてる時のほうが圧倒的に多いです。でも「つらい」という時に思い出すと、パニックになってさらに事態を悪化させることがないので、とても便利です。

自分自身の「心」に自分が着目する

――ゲシュタルト療法(セラピー)は状況ではなく心に着目するセラピーだとのこと。このことは、人間関係にも応用できると感じました。先生自身も人間関係で状況ではなく心に着目するということを習慣化されているのでしょうか?

田房
子どもの心に着目することは、今のところできてる気がするけど、4歳半になって複雑化してきたので、これから先もできるかどうか分からないですね。まあ、できていると思えているのも気持ち悪いから、それくらいがちょうどいいかなと思っています。
あと夫のことは一番、よく分からないので、ぜんぜん「心」にアクセスできてる実感がありません。謎の存在です。
でも一番は、自分自身の「心」に自分が着目する、っていうのができてれば、いろいろ手っ取り早いと思っています。

「わがまま」と評されることを恐れることはない

――心にピントを合わせるために効果的な方法として「①休む②今ここ③自分をほめる」の3つを意識することを挙げられていました。親しい人間で自分をけなしてくるような人がいた場合には、距離をおくべきでしょうか?不健康な人間関係を断ち切るというのもキレないための一つの自衛策としてありでしょうか?

田房
絶対に距離をおくべきだと思います。

本当に、自分のことをけなしてくるなんて人は、害しかないです。「あなたのこういうところが本当につらいから変えて欲しい」という要望だったら話は別だけど、単なるけなしは全く耳を貸す必要がありません。

自分をけなす言葉というのは、思っている以上に知らない間に自分の心身を蝕みます。
頭では「この人の言ってることは一理ある」とか思っていても、「心」に注目したらものすごい嫌がっていた、ということがあります。

常に自分の「心」に従うべきだと思います。
そうすることで、相手から「わがままだ」と言われたとします。だけど、それは自分の思い通りにならない私に対して苛立っている相手のほうが「わがまま」であるとも言えるので、「心」に従った際に「わがまま」と評されることを恐れることはないと思います。
けなしてくる人と付き合ってると、自分が人をけなすことも普通のことになっちゃって、自分の加害と向き合うためにも被害に遭い続けない、っていうのは大切だと私は思ってます。

過去の理不尽な体験へ寄り添う方法

――「過去から引きずっている感情が勝手にうごきだしてしまう。=キレる」ということだと定義されていますが、この過去から引きずっている感情を排除する一番の方法がセラピーだとお考えですか?

田房
排除する、というよりも、過去の自分に寄り添うことで納得いかなかった感情に決着をつける、という感じだと思います。そのきっかけが、私の場合は、セラピーや自己統合療法とかカウンセリングや自助グループ、自己啓発のCDとか、いろいろなものでした。

人間は「納得」できるとすごく気持ちが落ち着いて穏やかになるんだと思います。ホームで駅員にブチぎれてるおじさんとか、あれはただ単に「俺を納得させろ!」という怒りに見えます。

私は過去に理不尽な体験が多すぎて、たくさんの「納得できない」を抱えていました。そういった体験のひとつ一つに寄り添うと、結構簡単に「納得」してくれるし、それによって現時点の生活や自分がガラッと変わったりして、面白くてハマったという感じです。
過去の理不尽な体験への寄り添い方を、セラピーなど通して学んだ、という感じ。人によってはそれを「片づけ」でしたり、何かの出来事でできたりとか、様々だと思うので、絶対「セラピー」でしかその効果を得られない、ということではないと思います。
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