登場人物

★ゆきさん
雪原 匠(ゆきはら たくみ) 49歳 男性
ゆきさん薬局の管理薬剤師&オーナー
顔の見える薬剤師を目指し、日々奮闘中

★澤田 和子
澤田 和子(さわだ かずこ) 84歳
上品でとても謙虚な方
物忘れが激しくなり、自信を無くし始めている

★石原 真優
石原 真優(いしはら まひろ) 25歳女性
ゆきさんにあこがれて、ゆきさん薬局で働く薬剤師
素直で明るく、真優ちゃんと呼ばれ、スタッフにかわいがられている

薬が足りなかったのですが?

いつも元気に明るくゆきさん薬局に入って来られる澤田さんですが、今日はすまなそうに話し始めました。
「もらった薬なんだけど、どうもこの薬10日分足りないみたい」

半月前にもらった睡眠薬を薬袋から出して、30錠無ければいけないところを、20錠しかないと見せるのである。

話を受けたのは若い薬剤師スタッフの真優ちゃん。袋の中を確認しながら、ゆきさんにヘルプの視線を送ってきます。
ゆきさん、他の患者さんと応対していたために、「大丈夫、見ているよ」とのアイコンタクトを送るのが精一杯でした。

真優ちゃんは、「薬袋を開けずに、そのまま持ってきた」という話を信じて「すいません」と言って、不足分の10錠をお渡ししました。
ゆきさん薬局では、本来その場で回答せずに調べて折り返し連絡することにしていましたが、真優ちゃんは焦ってその場で対応してしまいました。

ゆきさんは真優ちゃんを気遣って、「澤田さんが嘘をつくとも思えないし、確かに20錠しかないから、難しい対応だったね。でも本当は、『申し訳ありません。確認してからご連絡します』と言った方が良かったよ」と話して、確認作業に入りました。

ゆきさん薬局では、最近防犯カメラを設置しました。もちろん防犯上の目的もあるのですが、最も大きな目的は認知症対策でした。
高齢化とともに、認知症患者さんが増えています。ゆきさん薬局でも例外ではありません。
そんな状況下で、認知症の患者さんから、正しく薬を渡していても、薬が足りないと言われることが増えるのは必至だと考えていたのです。

また、在庫管理システムも導入していて、患者さんに調剤した量と仕入れ量から、あるべき在庫量がわかるようになっています。
実際の在庫量を調べて、この理論在庫と合えば、正しく薬を渡していることを確認できます。

ゆきさん、早速その防犯カメラとパソコンで管理している在庫を確認しました。
ビデオで、正しく薬を薬袋に入れいていること、在庫管理で正しい錠数を用意していることがわかりました。

ゆきさん、早速澤田さんにビデオで正しい量を薬袋に入れていること、在庫管理でも正しい量になっていることを電話でお伝えしました。

澤田さん「もらったままいじってないから、困ったわね」という返事だったので、とりあえずもう一度落ちていないか確認してもらうようにお願いして、電話を切りました。

お嫁さんがきついのよ!

ゆきさん、電話をする前に次のようなエピソードを思い出していました。

澤田さんのお宅は2世帯住宅で、1階が澤田さん、2階に息子さん家族と一緒住んでいます。
半年ほど前から、ご主人は持病のCOPD(肺気腫)が悪化して、入院をしていました。
入院前は、ご主人の薬も澤田さんが取りに来られていたので、入院のことはわかっていました。

今回の問題が起きる2か月ほど前、澤田さんにお薬を渡すときに、ゆきさんは「ご主人、入院してしばらくたちますが、ご様子いかがですか?」と質問しました。

そうすると澤田さん、少し笑みを浮かべて「お陰様で、やっと退院できるようになりました」と話しました。

ゆきさんもうれしそうに「それは良かったですね」と答えると、澤田さんの顔が急に曇ってきて、今度は複雑な顔で話し始めました。
「でもね、新しくベッドや在宅酸素を用意したりしなければいけないので、大変なの」

ゆきさん
「まあ、それは大変だと思うけど、一緒に暮らせるのが一番ですよ。前向きな大変だと思って頑張ってよ」

澤田さん
「他人様にいうことじゃなんだけど、昨日息子夫婦と話し合ったのね。そうしたら嫁が『私、痰を取る吸引なんか絶対にやりませんから』って言うのよ。やりたくないのはわかるけど、嘘でも『手伝いますから』と言ってくれれば、かわいいものを、こちらが困っているのに、あの言い方はないわよね。あの嫁はきついのよ」と急に涙をぬぐいながら話し始めました。

ゆきさん
「そうですか、おつらいですね。でもご主人の顔を毎日見られるようになれば、『そんなこともあったわね』ときっと忘れてしまいますよ。今はご主人の受け入れ体制を整えることをがんばってください」と話して終わりました。

自信をもって!

ゆきさん、実は澤田さんに電話する間に色々と考えて悩んでいました。
というのも、認知症が始まっている患者さんに事実を伝えたところ、その患者さんがとても落ち込んでしまうという経験があったからです。
それ以来、常に正しいことを言うことが患者さんにとって良いこととは限らないと思うようになりました。

今回は、澤田さんが家族にも打ち明けられないようなことを話してくれている澤田さんだからこそ、話すことにしたのです。
澤田さんには、いい加減な薬局では無く、今後も信頼される薬局でありたかったので、事実をお伝えしました。

澤田さんが、翌日に暗い顔で薬局を訪れました。
「ゆきさん、やっぱり薬は見つからなかったわ」と話し始めました。

ゆきさん
「そうですか。まあ仕方がないですね」
澤田さん
「違うのよ、ゆきさん。私ももう年で、どこに何を置いたかなんてすぐに忘れるし、『絶対、薬を開けて取ってない』なんて言えないのよ。でもビニール袋に入れたままだから、開けてないと思うんだけど、それも自信が無いのよ。もう年だから、ぼけてるでしょ。この間も、入れるはずもない引き出しに財布を入れているし。そちらはビデオも撮っているし、コンピュータで管理しているのだから、間違いないはずでしょ」

澤田さん、「財布だけではなく、鍵も、今取ってきた郵便物もどこに置いたかわからなくなる・・・」と話を続けました。

ゆきさん、いたたまれなくなって言葉を発しました「澤田さん、ごめんなさい。確かにビデオでも、パソコン管理でも合ってはいるんだけど、渡すときに薬袋から落ちたりとかもありえます。100%うちが正しいとも言えないから、そんなに自分を責めないで。ただね、澤田さんは僕のことを信頼してくれているから、いい加減な薬局ではないということだけ言いたかったんです。澤田さんが、ご自身のことを責められるのを見るのは僕もつらいです。今回のことは忘れてもらえますか」

澤田さん
「何だか悪いわね。それでもらった薬はどうすれば良いの?」

ゆきさん
「薬もないと困るでしょ。そのままで良いですよ。澤田さんも思っていることを話してくれたし、私もいい加減にやっていないことをお話しさせてもらいました。それだけ理解いただければ満足です。本当につまらない心配をさせてごめんなさい」

澤田さん
「迷惑かけて、ごめんなさい。忘れることにするから、これからもよろしくお願いします」と言って、ほっとした顔で帰られました。

ゆきさんの経験では、認知症の患者さんの多くは、被害妄想や、当たり所の無い怒りをぶつけるようになり、笑顔が減っていきます。

認知症を進行させないためにも、患者さんを笑顔で帰るようにしてあげたいと改めて思うゆきさんでした。

※ゆきさん薬局の物語に登場する人物は、フィクションです
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